ハイにつき多少長い自分語りをお許しください。
先日,「東京マラソン2012」で初のフルマラソンを走ってきました!
はや15kmで故障していた膝の痛みが爆発,「棄権」の2文字が頭をチラホラよぎったものの,
ここで歩いてしまったら最後とふんばり,4:40hで完走しました。
実は,10万円以上の寄付をして参加するチャリティー枠での出走。
おととしの暮れ,健康のためにと走り始めてまもなく震災が起こり,
以降,誰かの真似をして,自分で走った1kmにつき10円の募金貯金をすることにしました。
酷暑極寒の日も,旅先でも海外でも,ひたすら脚を動かし続けたので,
そのうちもうちょっとこれに意味付けしたくなってきました。
そして,フルマラソンに参加してみようと思い立ちました。
このチャリティー枠ですが,抽選ではとうてい当たらない枠をお金で
「買って」まで走りたいのか? という批判があるようです,へーえ。
自分のエゴを満たすため? そりゃそうかもしれません。
私の場合,走りたさより,走らなくなる言い訳をつくりたくなかったのです。
今年は,参加者の募金の半分は被災者に行くことになっています。
残り半分はいくつかの寄付先のなかから自分で選択して,難民キャンプの太陽光発電設置を支援することにしました。
そんだけのお金があればさっさとその足でボランティアに行けばよろしい?
確かに,実情を目の当たりにするというのは大切でしょう(特に若いうちは)。
でも,人それぞれいろんな事情で現場に足を運べなくとも,ときに
技術や知識に長けている第三者へ資金を託すほうが,結果的には
効率的な活動に寄与することになるという考え方にも,私は賛同します。
でもそんなお金出せない?
ならば,足りないぶんは集めようではないか。
今回さほど積極的には宣伝しなかったのですが,「私走りますから」とそれとなく触れ回っていたら,
へえそういうのあるんだ,がんばって,と援助してくださった方は意外と多かったのです,多謝。
海外のマラソンの中には,チャリティーの主旨で参加するのがごく普通になっているものもあり,
職場や自分のブログなどで募金を募ったりもするそうです。
ひとりが寄付するよりも額も大きくなりますし,多くのひとに支援先の現状に関心をもってもらう機会にもなりますね。
もちろん,「私が走れば世の中が変わる!」…そんなわきゃないです。
自分でできるボランティアがひとつ増えたに過ぎません。
つまり,やりたい人ができることをやる,これでとくに損をする人いません。
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ところで,前方の熾烈なオリンピック代表権争いはどこへやら,ずっと後方にはおもしろいものがたくさん。
走る人の背中に「がんばろう!日本」とあるのを何度も見かけましたし,
親子,夫婦,同僚,障がいのある人,十字架を背負ったキリストだけでなく,
ドラえもんやカネゴンも,みんな何かを心に抱えてひたすら同じ方向に走っていく光景は圧巻!
そして「キ,キミたちは,いつもあのブッチョーヅラで電車に乗ってる人々か」と戸惑うほど(失礼),暖かい沿道の応援。
去年1年は,走ることで文字どおり世の空気を感じることができました。
…身体的若さという意味ではピークを越えてから始めたランニングですが,
自分にとって精神的にはちょうどよいタイミングだったのだと思います。
人間脚を動かし続ければ,とことん遠くまで行けそうに思えてきました。
みなさんにも,ぜひ歩いてみることからでもおすすめします。